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コンタクトレンズは高い・・・

中学生の頃、視力が弱くなってきた。2.0あった視力はみるみる内に1.0を切り、中盤よりも後ろの席に当たると黒板が視えなくなるほど不便になった。

視力が弱まったことを親と相談すると姉がちょうどコンタクトレンズを買い替えるということもあり、私もコンタクトレンズにしてはどうかと勧められた。

眼球に異物を装着することに違和感があったものの耳にかける眼鏡に比べればその違和感も差異なくむしろ快適であると聞かされて承諾した。コンタクトを嵌めてみるとまるで世界が変わったかのようにはっきりと視界がクリアになり感動を覚えたものだ。

その後もコンタクトを愛用した。内心、眼鏡をコンタクトに比べてズレを直したり、レンズが曇ったり、汚れを拭き取ったりとその手間の多さから小馬鹿にしていた。

しかし、社会人を経験してふと気が付いた。コンタクトは実は眼鏡よりも手間が多いのではないのかと。確かに煮沸洗浄などが不要になり、使い捨てが主流になったコンタクトは一見手間いらずの便利な道具に思える。

しかし、1ヶ月で2000円ほどの出費が必要となり、これが恒久的に続く。時給1000円の仕事ならば2時間/月分の労力を対価として支払うことになるのだ。

これを50年続けるとすれば120万円分、つまり1200時間分の労力の対価が必要となる。一方、メガネは視力が悪くならない限り初期投資の2万円ほどで一生買い替えることなく使用できる。

クイッと眼鏡のズレを直したり、汚れを拭き取る時間など月換算で2時間も行わないし、行ったとしても作業をしながらでも可能である。

合理的かつ資本的に考えるとコンタクトレンズは眼鏡よりも遥かに手間のかかる代物と言える。もちろん時給1万円だったら12分間の労力で済む、という考えに至らなかったわけではない。

しかしそうなると、まま儲かっている中小企業の資本家並の所得と匹敵する年収になるので現実的ではない。一流企業の社員でもこの所得には届かない。

私は多分、一生コンタクトを嵌められないであろう。社会全体が無駄を省いて利ザヤを拡大することに躍起になっているが、まずは自分の身の周りを合理化してみてはいかがだろうか?

身辺を客観的に捉えて合理化できぬ者に組織の合理化ができるのであろうか甚だ疑問である。更に言えば最近はヘアーカット代が物凄く馬鹿らしくなっている。

たかが髪を切るだけで3,000円は取られる。これは3時間分の労力に匹敵するのだけれども、ここに着手すると文化的な現代人としてどうなのかと疑わざるを得なくなるので深くは考えないでおこう。

合理化がすべて正しいとは限らず、気付いても気付かぬ振りをすることも時として大切だ。
ここで合理化の対義語は文化であると気が付いた。国民の文化的な生活の保障が大前提である我が国において合理化社会の限界が垣間見えた気分である。
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